「究極の健康法」第14弾! [生活・健康]
こんにちは!青山です。
究極の健康法が、第14弾になりました。
今回は、常識を重んじるです。
************************
人間は叡智を磨かなくてはいけない。
誠のみではいけない、智がなくてはならぬ。
仏教で智慧証覚と言う。
キリストでは智慧の木の実と言う。
後は常識で、本当のことは合理的に常識に合うものである。
小乗善は大乗の悪なりと
私が常にいうのはこの事である。
またこの点一番よく分かるのは
小乗善の人は必ず常軌を逸することで、
何事も常識眼に照らして判断すれば間違いないので、
私は常に常識を重んぜよというのである。
究極の目的は、完全なる人間を作ることであるとも思う。
もちろん世の中に完全ということは望み得べくもないが、
少なくとも完全に一歩一歩近づかんとする修養-------
これが正しい態度である。
その人の言動がいかにも常識的であり、
万人に好感を与え、人に接するや軟らかき春風に吹かれるごとくで、
謙譲に富み親切であり、他人の幸福と社会福祉の増進を
ねがうようでなくてはならない。
私は常に言うことであるが、まず自己が幸福者たらん
とするには他人を幸福にすることで、
それによって与えらるる賜が真の幸福である。
しかるに自己のみの幸福を欲し他人を犠牲にする
というがごときは全く逆効果以外の何物でもないことを知るべきである。
***************************
健康たるには、叡智を磨き、常識を重んじなければならない!
当たりまえと言えば当たり前のことですが、
実際問題になると、どれくらいの人が、常軌を逸しないで
いつも冷静にいられるだろうか?
なかなかそうはいかないものである。でもしかし、
本当の健康を望むのならば、そういうところも
しっかりやっていかなければならないわけですね!!
今回も最後まで読んでいただき、
誠にありがとうございました。
次回もお楽しみに!青山がお届けしました。
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究極の健康法が、第14弾になりました。
今回は、常識を重んじるです。
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人間は叡智を磨かなくてはいけない。
誠のみではいけない、智がなくてはならぬ。
仏教で智慧証覚と言う。
キリストでは智慧の木の実と言う。
後は常識で、本当のことは合理的に常識に合うものである。
小乗善は大乗の悪なりと
私が常にいうのはこの事である。
またこの点一番よく分かるのは
小乗善の人は必ず常軌を逸することで、
何事も常識眼に照らして判断すれば間違いないので、
私は常に常識を重んぜよというのである。
究極の目的は、完全なる人間を作ることであるとも思う。
もちろん世の中に完全ということは望み得べくもないが、
少なくとも完全に一歩一歩近づかんとする修養-------
これが正しい態度である。
その人の言動がいかにも常識的であり、
万人に好感を与え、人に接するや軟らかき春風に吹かれるごとくで、
謙譲に富み親切であり、他人の幸福と社会福祉の増進を
ねがうようでなくてはならない。
私は常に言うことであるが、まず自己が幸福者たらん
とするには他人を幸福にすることで、
それによって与えらるる賜が真の幸福である。
しかるに自己のみの幸福を欲し他人を犠牲にする
というがごときは全く逆効果以外の何物でもないことを知るべきである。
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健康たるには、叡智を磨き、常識を重んじなければならない!
当たりまえと言えば当たり前のことですが、
実際問題になると、どれくらいの人が、常軌を逸しないで
いつも冷静にいられるだろうか?
なかなかそうはいかないものである。でもしかし、
本当の健康を望むのならば、そういうところも
しっかりやっていかなければならないわけですね!!
今回も最後まで読んでいただき、
誠にありがとうございました。
次回もお楽しみに!青山がお届けしました。
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2017-01-07 07:30
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